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美らピープルでいこうブログ > '09モンゴルの旅-地球探検隊 > 【大自然の裏側】ゴミの存在
モンゴルの大自然の裏側として、
一番、印象深かったことは、
ゴミのことだった。
旅に行く前から、
大自然の中に、ペットボトルのゴミなどが、
意外と結構あるんだよ、
なんていう話しを聞いていた。
そして、それはその通りだった。
遠くの景色をみれば、全くと言っていいほど、わからない。
足元をみると、しばしば見かけるペットボトルやビンなどのゴミ。
朝、早起きをして、散歩がてら、ゴミ袋を片手にゴミ拾いをした。
それなのに、10時頃、乗馬をする時に、
すでにそこに転がっていた、ペットボトル。
そして、おそらく、それは、観光客ではなく、
現地の乗馬ガイドなどが捨てていったものではないかと思う。
そういうシーンがあった。

まず、ツーリストキャンプ場の朝は、
自然の中を散歩した。
ゴミの話しは聞いていたので、
ゴミ袋を持って、ゴミ拾いがてら、散歩をしていた。
実際、毎朝の散歩で、
毎回、ゴミ袋がほぼ満杯になった。

ゴミ袋が満杯になったから、
そろそろ散歩も引き上げようか、
という言葉の方が、正確かもしれない。
ツーリストキャンプ場の柵を越えた外側を、
散歩しながらゴミ拾いをしたが、
色々なゴミがたくさん、転がっていた。
ペットボトル、ビン、缶、煙草の吸い殻、
お菓子の袋、ティッシュのような紙。
できるだけ、毎日、違うところを歩いたけれど、
前日にゴミ拾いをした場所にも、
すでにペットボトルなどが、いくつか捨ててあった。
観光客もそうだろうが、現地の人も捨てている。
ただ、現地の彼らのモラルだけを、
単純に責められない。
彼らの生活に、もともとゴミ箱という
習慣はないだろうし、
毎週◯曜日にゴミを収集してくれるなんていうこともない。
もともと、彼らの文化の中で、不要なものと言えば、
枯れ木などと一緒に燃やしたり、
大地に帰すような、
ゴミしかなかったのだろう。
そこに、観光や発展と共に、
ペットボトル、ビン、缶、お菓子、
煙草などが、入り込んで来た。
彼らの生活習慣からすれば、
それは当たり前のように、
その辺に捨てるものだろう。
それをまざまざと感じたのは、
乗馬の3日目の夕方だった。
実はこの日、僕は、途中で落馬し、
肩を痛めた。(実は骨折していた)
なので、帰り道は、乗馬を諦め、
車の到着を待った。
その間、現地の子供たちと遊んだりした。
飛行機のおもちゃを持って来ていたので、
それですごく楽しく遊んだりしていたのだが、
そのおもちゃの紙袋(ゴミ)を、
まとめてバッグにいれようとした時だった。
子供が、その紙を僕の手から取り、
ビリビリと細かく破いて、
草と混ぜて、ひとまとめにして、
これでO.K.っていうような
頷きの笑顔を見せてくれた。
何も言えなかった。
彼らの生活、彼らの文化。
まして、モラルの低さでもない。
子供の純真な行動。
彼らには、なんの悪気もないし、
それが自然に帰るものであり、
当たり前のことをしているのだろう。
言葉で伝えられないのが、
ちょっと悔しかった。
何も言えないのが、
ちょっと悔しかった。
その紙を草木ごと、
持っていたビニール袋に入れて、
頷き、笑いながら、バッグに詰めた。
きっと、僕がなぜそうしたのかは、
その子には伝わっていない。
不思議がっていただろう。
でも、そうすることしかできなかった。
とにかく、笑顔でそうしよう、
ってくらいしかできなかった。
原住民の生活に、ゴミ収集車もないし、
街角のゴミステーションもない。
乗馬ガイドは、観光や僕らと接し、
煙草やペットボトルの水や、
瓶ビールなどに接する。
ゴミを捨てるな、とだけ責められない。
でも、伝えたいな。
ゴミが自然の中に増えることで、
モンゴルが持つ雄大な大自然という財産が、
その価値が薄れてしまっていくことを。
日本が、発展と共に、何年もかけて環境を破壊して、
取り戻すことができないようなことがたくさんあって、
同じ過ちを犯して欲しくない。
そして、それは、きっと原住民だけに強いることじゃなくて、
原住民、モンゴルという国、観光客を送り込む新興国、
ツアー会社、ぼくらひとりひとりが、
協力しあってやることだし、
そこにこそ、解決の糸口があるんだと思う。
諦めることは、いつだってできるんだから、
まずは、できる一歩だけでも、したい。
僕は、今、ブログに書いて、
そんなにアクセス数の多いサイトじゃないし、
少しの人にしか伝えられない。
モンゴルの旅の写真を持って、
友達と話しているが、そんなメンバーくらいにしか
話せていない。
今は、こういうことくらいしかできないけれど、
みんなの小さなひとつひとつのできることを繋いで、
少しでも大きな流れに繋げていけたらいいなと思う。
それが、全体からみたら小さなことかもしれないけど、
そういうことの積み重ねが、
またひとり、またひとりを動かす
機会になっていくのだから。
繋がる人と繋がって 繋がる想いと繋がって
また新しい流れが 小さくても 生まれて欲しい